印刷機 その2

さて、引き続いて印刷機の話です。
なんで新聞印刷の話になるのか?ってことなんですが、鋭い人はもうお分かりだと思います。

日本最初の日刊邦字新聞は、横浜発なのですね。『横浜毎日新聞』という新聞で、明治3年の12月8日(1871年1月28日)に創刊されています。

*1879年には東京へ移り、『東京横浜毎日新聞』と改称。東京なのか横浜なのかはっきりしろ、というところですが、その後紆余曲折を経て昭和15(1940)年、『帝都日日新聞』に吸収されました。

*で、『帝都日日新聞』の系譜は現在も受け継がれており、『やまと新聞』という名で残っております。公式サイトはこちら

*ちなみに「日刊新聞発祥の地」というのは別に記念碑が建っておりますので、これもまたいずれ近いうちに。

創刊したての『横浜毎日新聞』は、木刻活字を使用した洋紙1枚両面刷りのものだったということで、当時は大変画期的な新聞でしたが、今の新聞と比較すると大分分量は少ないものでした。

それはそれとして印刷機の話なんですが、要は「オフセット印刷」というのができるようになった、という機械なんですね。『横浜毎日新聞』でも用いられている通り、グーテンベルク以来利用されてきた印刷の方法は、「活版印刷」というやつです。乱暴に言えば版画みたいなもので、それをどんな文章にも応用できるように一文字ずつハンコのような活字を組み合わせて文章を作り、印刷していました。

作業はこんな感じ。

* 印刷の歴史は古く、木版印刷という版木に文章を彫って印刷する手法は中国で始められました。その後11世紀には中国で木活字、13世紀に朝鮮で銅活字が用いられます。ヨーロッパは紙、印刷術ともにアジアから遅れましたが、グーテンベルクの印刷術以降、一気に広まります。

しかし活字を組み合わせる作業(文選)は熟練の技術を要すること、出版する印刷物の増加などに対応するため、新たな印刷技術として「オフセット印刷」が登場したわけです。現在ではほぼ全ての印刷物がこちらなのだとか。詳しい説明は無理なのでこのへんで納得してみてください。

前回の写真の機械は1時間あたり15万部を刷ることができたそうですが、製造元の東京機械製作所が現在製作しているオフセット印刷機は、1時間あたり20万部刷れるとのこと。技術の進歩が感じられます。続いて登場しているインクジェット方式デジタル印刷機というのが普及すると、また印刷事情は変化していくのでしょうか。

なお、今回の印刷機はこちらに展示してあります。2階にある喫茶店が素敵ですよ。