アメリカ人宣教師の宿舎 その2

では、前回ご紹介した成仏寺が、どんなお寺なのかを(例によって『横浜市史稿』で)確認してみましょう。
誰でも知っている武将が目白押しです。

成仏寺は正式には「正覚山法雨院成仏寺」となります。境内は1111坪、東京芝にある増上寺の末寺なんだそうです。寺のあゆみは以下のような感じ。

  1. 開山は非常に古く、永仁年間(1293-1299)といいますから、鎌倉時代です。法燈圓明国師覚心上人大和尚深厚山と称して真言・佛心・律・浄土四宗派を兼ねて開山しました。
  2. 応永年間(1394-1427)、後小松天皇が師岡の熊野権現(おそらく現横浜市港北区の師岡熊野神社)に保内十二箇郷神領御寄進の宣旨を下し、保内の僧院12所を選んで社務に定めた際、その第一に置かれ、後小松天皇より院号を賜りました。何の事やらですが、勅号を貰っていたってことですかね。
    *応永は応永の乱(1399)、応永の外寇(1419)などで目にすることがあると思います。
  3. 天正18(1590)年、豊臣秀吉が門前に保内12郷における乱暴狼藉などを禁ずる禁制を出しました。秀吉の朱印状の他に、浅野長吉の添状もありました。文言は確認できます。つまりこのお寺は多くの人が集まる場所であったと言えるのかもしれません。相当大きなお寺だったのでしょうかね。
    *1590は言うまでも無く豊臣秀吉が小田原北条氏を降して天下統一を成し遂げたことになっている年です。小田原征伐に来た時のエピソードなのでしょう。
  4. 慶長年間(1596-1615)、徳川家康より寺領10石、境内地三町四方(一町=109m)を寄進。京都知恩院の直末となり、山号・院号ともに現在のものとしたそうです。ただし、元和9(1623)年に徳川家光の命令で改称したとか、寛永年間(1624-1645)に改宗したという説もあるそうで、この辺ちょっとはっきりしてないようです。(直接聞きに行くべきでしょうか?)
    *知恩院は浄土宗の総本山。浄土宗の開祖は法然。超有名です?
  5. 寛永7(1630)年、徳川幕府が神奈川御殿造立の際、境内を用地として接収。別に2640坪の土地をもらい、移転します。ことここに至って今更ですが、つまりここまでの歴史を刻んだ成仏寺は、現在地にはなかったということです!
    *神奈川御殿は現在の神奈川本町、京急仲木戸駅のあたりにあったようです。つまり成仏寺も多分、元はその辺ってことですね。いずれ調査いたします。
  6. 元禄年間(1688-1704)から享保2(1717)にかけて、新たな用地に伽藍が立ち並びました。最終的には慶応3(1867)年までかかります。ただし、この間六つの塔中は徐々に廃絶。さらに明治維新を迎えて寺内にあった鎮守熊野社は神仏混淆禁止により、分離されます。(現在、目の前に熊野社があるので多分それじゃないかなと思いますが…これも直接聞きに行くべきでしょうか?)
  7. ちなみに、 ご本尊は阿弥陀三尊だそうです。今はまあそこそこ手頃な広さのお寺になっている成仏寺ですが、元々は神奈川一帯でもかなり有名なお寺だったと推測できます。

    で、次回は横浜開港当時に、この成仏寺に仮住まいしておられたアメリカ人宣教師の皆さんにつきまして、見ていきたいと思います。