港町魚市場跡 その1

ブログのタイトルになっていますように、家庭教師のS&Tは横浜を中心に神奈川・東京エリアで営業させていただいております(宣伝)。ですので、おのずと取り上げる史跡も同エリアに点在しているものが多くなります。

というわけで、地元横浜での業務中、関内駅下車数秒で発見したこの「港町魚市場跡」という史跡をまず紹介していきたいと思います。お手軽にもほどがある記事ですね。
では、石碑をご紹介しましょう。

横浜魚市場跡の石碑

横浜魚市場跡の石碑。反射でやや見えづらい状態ですが。


横浜魚市場の説明書き

ニコイチで建ってます。映り込んじゃってますね(´・ω・`)

写真撮影したり碑文読んだりしてたら、なんか有名なものなんじゃないのか?と思われたらしい通行人の方が数人立ち止まってしばらく眺めていかれました。行列のできてるレストランみたいなもんで、やはり人が人を呼びますね。

立派な文字は飛鳥田一雄市長の筆。1963‐78の4期在職なので、結構古いです。二枚目の碑文によると建てられたのは昭和56(1981)年になりますかね。

概要については、写真の碑文を読むとだいたいは分かりますが、より分かりやすいのはこちらのページです。

まとめると、明治四(1874)年に当時の神奈川県令陸奥宗光に、高島嘉右衛門が市場開設を願い出て許可されましたよ、と。で、衣紋坂というところに四品市場を立てて、これが大変繁盛しましたよ、と。その後明治四十二(1909)年に高島から太田徳次郎に全部譲渡されたけれども、大正十二(1923)年の関東大震災で無くなってしまい、再建したけれども昭和六(1931)年に移転したので、記念碑を建てときます、という感じでしょうか。

なんのことはない、この辺に昔市場が有りましたよ、というだけの話なんですが、碑文を読んでみるとちょっとだけ有名人が絡んでくるようです。長くなるので、補足の内容は次回へ。