港町魚市場跡 その2

なかなか本題に入れない港町魚市場の話。
あんまり冗長だと飽きられてしまいそうですし、関連する人物について、大学受験問題にも絡めてお話しましょう。

港町魚市場設立に絡んできてたのは、二人の有名人。陸奥宗光と高島嘉右衛門です。

“カミソリ陸奥”でおなじみの陸奥宗光といえば受験日本史業界では超有名人で、

【問】:下関条約の日本側全権で当時の外務大臣は誰か。以下から選べ。

A:青木周蔵  B:陸奥宗光  C:寺島宗則  D:大隈重信

とか、不平等条約改正に関する話とか、ちょっと突っ込むと著書の『蹇々録』なんかが世の受験生諸子に問われたりするかもしれません。

が、神奈川県令をやっていた経歴を聞かれるのはまず見ませんね。神奈川県令時代は生糸関連でいろいろ苦労しながらやってたようです。

*幕末から明治初期、横浜経由で海外へ輸出される品では生糸が重要な物産だった、というのがありますね。

で、高島嘉右衛門の方は横浜の基礎を作った実業家としてその筋では有名です。江戸末期の若い頃には一攫千金を狙って為替レートに乗じた小判の闇取引をやってお 縄になり、江戸から追放されたりした商魂逞しいワイルドな経歴を持ちます。横浜に移って以降、明治に入ると京浜間に鉄道通すとか、ガス会社を設立したりと か、学校をつくったりとか多種多様なちょっと山師っぽい実業家として名を馳せました。

*嘉右衛門が乗じた為替レートとは、幕末の日本では金銀の比価が1:5に対して外国では1:15であった、というヤツです。GMARCH辺りの入試でよく問われる知識ですね。

鉄道を通すからってんで埋め立てた一帯が「高島町」、大綱山荘という彼のお屋敷があった一帯が「高島台」 と、今でも地名に名前が残っている、横浜発展の礎を築いたローカル有名人?というところでしょうか。まあ彼が横浜を拠点に手がけた仕事は猛烈に多いので、 市内に関連史跡はかなり多いです。従って取り上げる機会も多くなる(ネタ詰まりを起こしたら嘉右衛門に頼る)でしょうから、折に触れまた色々と紹介してい けると思います。

実業家としての彼より有名なのが、易者としての高島嘉右衛門ですね。もともと勉強の得意だった彼は、なかでも古の占いの 方法が記述された『易経』を熟読し、独自に占いを行なって数多く的中させたといいます。有名なところでは西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文の死期を当てたと いいます。伊藤博文に関しては暗殺者の名前も当てていたそうです。

*伊藤博文が暗殺された場所はハルピン、暗殺したのは安重根。超有名。

ちなみに、年末くらいになると書店にずらっと並ぶ、高島易断本暦。 あれは嘉右衛門の占師としての名声から生まれたものです。ただ、嘉右衛門とは関係有りません。嘉右衛門の跡継ぎの長政は「当家では占業にたずさわる者はな く、また占業免状のようなものを発行した覚えもないのに『易は高島』という一般通念を利用し、世の顰蹙を買うような人々もあるように聞き及びます」と言っ ているそうなので、便乗商売ってことになりますかね。

はて、登場人物の話をしていたら長くなりすぎました。次は高島嘉右衛門が市場を開設するという本題について書きます。